「動物の心」
巷では、もう来年の運勢、占いの本が出回っている。かくいう私も占いは結構好きなので、いつも買っている占星術師の平成12年度版を読んでいた。ほとんど誰もが、名前を聞けばすぐわかるという、超有名な方で、確かに占いはとても良く当たっている。ふんふん、3年間悪かった運気も来年から徐々に良くなるのか。と。
ある部分のあるフレーズで私は、とっても悲しい気持ちになった。そこには、「人間が他の動物や植物と決定的に違うのは、「心」をもっているという点です。」と書いてあったのです。しばらくは、占いのことなど頭から抜け、動物に心がないということをなぜこの方は、言い切れるのだろうか、ということで、頭がいっぱいになった。星や宇宙のことを研究し、人間も宇宙・自然と一体の存在であるということを説いている方がなぜ…?
最近見たテレビでも、本来は人間しか救助しない、というレスキュー隊に、何とか無理を言って、川に流された犬を助けてもらい、家族全員涙するという実話に、スタジオのゲストの一人は、「たかが犬なんですけどねえ。」とのたまっていた。
私は去年、カナリアのPICOと出会った。そして、ピコと私は血がつながっているんじゃないか、と思えるほど愛している。動物に「心」がないと言い切られ、まるでピコの存在を否定されたように思え、とっても悲しく、大方の人間の思い上がりや驕り高ぶりを知った。ピコは、私の姿が見えなくなると、声を振り絞って鳴く。ママ、どこに行ったの? と言うように。姿が見えると、遠くから羽ばたいて来て肩に乗り、甘えてくる。本を読んでいると遊ぼうよ〜と、読めないように邪魔をする。夫婦喧嘩をしていたら、悲しそうに鳴いた。夫と私の頭の上に交互に乗ってくる。くしゃみもするし、あくびもするし、何もかも人間と同じだと知った。生態だけ同じで、「心」だけが備わっていないとは、どうしても思えない。形だけがカナリアとなって生まれた、私の分身(子供)だと思っている。
動物と共に暮らしている方は、わかるでしょうが、確かに動物にも「心」というものはある。しかし、動物は生きることが、真剣勝負だ。むやみに他に心を許すと、それは「死」を意味するので、ふだんは、心を開かないだけだ。人間が動物に対して、私はあなたに何も危害を加えませんよ、あなたを愛していますよ、ということを伝えれば、動物は次第に心を開いてくる。
忠犬ハチ公、南極探検隊のタロウ、ジロウに「心」がなかったのだろうか。あるゾウが人間に殺され、残された子ゾウは助かったが、何年か後、サファリパークに遊びに来た観光車の人間たちを襲ったそうだ。もちろん、その人たちは、何が何やらわからず、ただ狂暴なゾウが襲って来たと、恐怖の瞬間だけを語り継ぐだろう。子ゾウは、お母さんを襲ったのは、人間だということを覚えていて、今に見ていろ、大きくなったらお母さんの仇を討つんだ。と「心」に誓っていたに違いない。
今も腰に木の葉のようなものを身に付けるだけで、文明というものに冒されていない国のご家族を日本の家庭に招待して、何日間か共に暮らすという番組が何度か放送された。
また、その逆に日本からもその国で何日間暮らす。言葉も文明も違う二つの家族が、とまどいながらも、お互いに理解しあい、彼らは国へ帰るという時、激しく号泣し、抱き合いながら別れを惜しんだ。ふだん日本から見た場合、発展途上国の方々は、文明や知識がないのだから、感情や心というものも、たいしたものじゃないと、思っていませんか。確かに彼らの生活は、動物に近い。しかし、自然、動物と共に暮らし、人間が特別偉いとは思っていない彼らの方が、はっきり言って純粋なのだろう。とても情が厚く、家族と思えるものに対しての愛情の絆はとても深い。
極論ですが、10何人殺した殺人犯と、盲導犬の命とどちらが崇高でしょうか。言葉をしゃべらないから、文明がないから、動物だから、「心」がないというのは、その人自身に「心」がないと思うのですが、どうでしょうか。昔、女性が粗末に扱われていた時代には男性から、おんな子供には、「心」がないと思われていたんだよ、細木数子さん。